看護福祉系の学生にがん全般を10コマで教えるなら

知り合いの腫瘍内科医の先生がFacebookで、福祉専門学校に7年間毎年通って担当していた「がん全般」の10コマ講義が、先日で最後になったという投稿をされていました。7年間、自分も勉強しながら講義してきたと書かれていて、その言葉が印象に残りました。もし看護師や介護医療関係の仕事を目指す若い学生に、がん全般について10コマで話すとしたら何を伝えるかを考えてみるとなかなか迷うところですが、ぼくはこのような10コマを挙げてみました。
- 1限目 がんとはどんな病気か
- 2限目 がんの予防、早期発見
- 3限目 がんは遺伝子の病気
- 4限目 がんの種類、進行度
- 5限目 手術と放射線治療
- 6限目 毒ガスから生まれたがん薬物療法、免疫チェックポイント阻害薬とがんゲノム医療
- 7限目 臨床研究と研究倫理
- 8限目 一人では治せない、チーム医療
- 9限目 がん医療を支える制度と社会、がん教育
- 10限目 緩和ケアと在宅、地域医療
- まとめ
1限目 がんとはどんな病気か
「がん(cancer)」の語源は、古代ギリシャの医師ヒポクラテスが、腫瘍から広がる血管をカニの脚に見立てて「カルキノス(karkinos)」と呼んだことに由来します。蟹座は今でもキャンサーと言いますよね。紀元前の医学パピルスには乳癌の記録があるそうです。2500年以上前から人類を悩ませてきた病気は、今や日本人は2人に1人ががんになり、死因第一位を占めるほどに増え、非常に大きな社会的問題になっています。最も死亡者が多いのは肺癌、しかし罹患者数が多いのは乳癌など。がんの疫学や高齢化の影響などについて学びます。
2限目 がんの予防、早期発見
日本人のがん罹患のうち35.9%は、喫煙・飲酒・感染などの予防可能な要因によるものと推計されています*1。禁煙、節酒、適正体重の維持といった一次予防と、がん検診による二次予防をセットで伝えます。検診受診率は多くの部位で50%に届いておらず、命を守れるはずの機会がまだ活かしきれていません。また、子宮頸がんワクチンやヘリコバクターピロリ除菌療法など、がんの原因となる感染源から身を守ることも大切です。
3限目 がんは遺伝子の病気
2013年、女優アンジェリーナ・ジョリーがBRCA1遺伝子変異と乳がん発症リスク87%という説明を受けて予防的乳房切除を公表すると、カナダのがんセンターでは遺伝カウンセリングの紹介数が半年でほぼ倍増しました*2。がんの病態は遺伝子の変化と密接に結びついています。生まれつき病気になりやすさに関連する遺伝子の変化を持った遺伝性腫瘍や、遺伝子変異が治療薬の選択にも結びつくことにも触れます。
4限目 がんの種類、進行度
がんには様々なものがあります。5大がんと呼ばれる肺、胃、大腸、肝臓、乳。白血病や肉腫・脳腫瘍などもがんの一種です。発症患者数が非常に少ないために治療がまだ確率されていないような希少がん、そして検査技術が進歩した今でも全身のどこから発生したのかを突き止めることができない原発不明がんというものもあります。それぞれ進行度分類は様々ですが、大きく分けて根治可能な段階にある早期がんと、根治治療は難しい進行再発がんにわけて治療のゴール(目標)を考えます。
5限目 手術と放射線治療
X線とラジウムを発見したキュリー夫人自身、当時は放射線防護の概念がなく素手で研究を続け、長年の被曝が原因とみられる再生不良性貧血で1934年に亡くなっています*3。放射線治療は、黎明期の多くの犠牲の上に安全性が確立されてきた治療でもあります。手術治療においてはビルロートやハルステッドらの偉大な外科医たちによって様々な手術療法が考え出されましたが、最近では身体機能の温存や術後の美容性にも配慮した縮小手術・温存手術も普及してきています。
6限目 毒ガスから生まれたがん薬物療法、免疫チェックポイント阻害薬とがんゲノム医療
戦争中の化学兵器事故をきっかけに抗がん剤の開発が進みました*4。細胞分裂の仕組みを狙う薬なので、正常な細胞も傷つき骨髄抑制や脱毛といった副作用が避けられません。それでも今なお多くのレジメンで中心的な役割を果たしている治療です。ジェームズアリソン博士と本庶佑博士の発見から免疫チェックポイント阻害薬が生まれ、2018年にノーベル賞を受賞しました*5。2019年には最適な分子標的薬などを探すためのがん遺伝子パネル検査も保険適用になり、まだ発展途上ではありますがゲノム医学の進歩を受けてがん治療は新しい局面に入りつつあるのかもしれません。
7限目 臨床研究と研究倫理
新しい抗がん剤は、少人数で安全性と適切な用量を確かめる第I相試験、有効性を予備的に評価する第II相試験を経て、次の標準治療にふさわしいかを確認する第III相試験で効果が証明されて初めて標準治療になります。この過程ではプラセボ対照試験を行ったり無作為化比較試験という手法が使われることもあります。こうした厳密な検証の積み重ねが、今の治療の土台になっていることをまず伝えたいところです。
一方で、その検証の歴史には暗い側面もありました。催奇形性で世界的な薬害を起こしたサリドマイドは、2008年に多発性骨髄腫治療薬として承認され直しました*6。子宮頸がん患者ヘンリエッタ・ラックスから本人の同意なく採取された「不死化細胞株」HeLa細胞は、ポリオワクチン開発をはじめ数えきれない研究を今も支えています*7が、がん研究の裏にある患者の権利や研究倫理の重みも伝えます。
8限目 一人では治せない、チーム医療
医師・看護師・薬剤師だけでなく、管理栄養士や医療ソーシャルワーカー、理学療法士まで多くの職種が治療を支えるというチーム医療で今の医療は成り立っています。回診前のカンファレンスでは、患者さんの生活面の情報を一番持っているのが看護師や介護福祉士であることも多く、そこでの発言が治療方針を左右することもあります。自分がその中のどこに位置するかを考えてもらいます。
9限目 がん医療を支える制度と社会、がん教育
高額療養費制度やがん対策基本法など、患者さんの治療を支える公的な仕組みがあります。こうした手続きや制度を案内できることも現場のスタッフに求められる知識です。がん診療連携拠点病院にはがん相談支援センターという相談窓口も整備されており誰でも無料で利用できます。制度はがん患者団体などの働きかけによって今も更新され続けています。社会一般にもがんを過度に恐れたり差別したりすることがないように理解を深めて貰えるようながん教育の重要性が高まっています。
10限目 緩和ケアと在宅、地域医療
疼痛管理、患者・家族とのコミュニケーション、本人が誇りを失うことなく快適に過ごせるように、緩和ケアが非常に重要な役割を担います。がんを治すためではなく苦痛を取るための薬物治療や放射線治療もありますし、精神科的アプローチやリハビリテーションの役割もあります。緩和ケア病棟から在宅移行後の多職種連携まで、現場で直接使う知識をまとめて扱う回にします。看取りの後に残されるご家族へのグリーフケアにも、少し触れておきたいところです。
まとめ
10コマに落とし込もうとすると、1限目に収まりきらない話ばかりが出てきました。マスタードガスから抗がん剤の発見に至るまでのエピソード、ゲノム医学などの進歩と歩調を合わせてきたモノクローナル抗体や小分子化合物の進歩は、とてもこの時間内で話しきるのは難しそうです。そして話を聞いているのが看護学生などであれば、もしかすると9限目・10限目こそもっと時間を取って、どういう医療者が必要とされるのか、どういうプロフェッショナルに育ってほしいのかを伝えるべきかもしれません。その先生が実際にどう配分していたのかは分かりませんが、7年間毎年アップデートしながら続けてこられたのは、この取捨選択を繰り返してきたからだろうと想像します。
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*1 日本人におけるがんの原因の寄与度推計(JAPAN PAFプロジェクト), 国立がん研究センターがん対策研究所 https://epi.ncc.go.jp/paf/index.html
*2 「アンジェリーナ効果」は日本にも波及するのか?, 医学界新聞 2013年 https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2013/PA03031_06
*3 キュリー夫人の死因は?研究が原因の病気だった?, レキシル https://rekisiru.com/7395
*4 がん化学療法と抗がん剤の歴史, がんサポート(QLife) https://gansupport.jp/article/series/series09/4689.html
*5 ノーベル賞と免疫チェックポイント阻害薬, 日経メディカル 2018年 https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cancernavi/series/genba/201812/559245.html
*6 多発性骨髄腫に対するサリドマイドの適正使用ガイドライン, PMDA https://www.pmda.go.jp/files/000143338.pdf
*7 ヒーラ細胞が問いかけたこと, 京都大学CiRA https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/newsletter/240613-000001.html
更新日:2026-07-01 閲覧数:90 views.